馬込を歩く

母の看病は2日目を迎えた。少し状況が見えてきて休憩の時間ができたので、近所を歩いてみた。小学校、中学校時代はこの街で過ごした。もう半世紀前のことになる。二国(第二京浜国道)を歩いて中学校に通った。銀杏並木の2車線の道だったが、今は片側3車線の大動脈。

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松原橋は日本初の立体交差(二国と環七)として郷土の自慢だった。環七を新幹線が高架橋で跨ぐ。その下は横須賀線という壮大な建造物だ。横須賀線はその当時は貨物専用の品鶴線だった。長い貨物列車が重い響きをたてて通過していった。

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馬込銀座の商店街はすっかり変わってしまったが面影はわずかに残っていた。思い出があちこちに点在する。ごちゃごちゃした下町の雰囲気。

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馬込のホテル

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七変化(ランタナ)  歩いた道筋に咲いていた

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