まさに浅田次郎ワールド 既視感があると思った。「地下鉄に乗って 」「椿山課長の七日間」の世界だ。幻想 倒錯 夢の世界。こういう世界を彷徨うのも一興かと思ってページを繰っている。主人公は定年を迎え、送る会の後 帰りの地下鉄の中で倒れた。緊急搬送されてICUで意識のない状態。関わりのあった人たちが訪ねて来て会話を交わすうちに、その人生が明らかになっていく。一生を振り返ると、愛おしさ 哀切を感ずる。まさに浅田ワールド‼️
岡崎に住むTさんから春の知らせ。土手に土筆がニョキニョキ現れたとのこと、スナップを送ってくれた。土筆は「咲く」とは言わないだろう。スギナの胞子茎をツクシというのだが、「伸びる」といえばいいのだろうか。岡崎あたりは土筆料理が盛んなようだ。子供の頃、スギナを節のところでセパレートし また戻してその場所を当てっこする遊びをした覚えがある。考えてみれば、不思議な植物だ。
最近、「まいにち養老先生、ときどきまる」BS1番組を見ることが多い。自然に囲まれた鎌倉のお宅で、猫のまるを相手に世の中のこと諸般を先生がつぶやく。示唆に富んでいる。まるは年末に静かに死んでいった。先生は悲嘆に暮れるでもなく淡々と暮らしている。この番組に刺激されて「自分の壁」(新潮新書)を読みはじめた。この本の中にも番組と同じ養老先生がいて、世の中のありようや自分の考えを語っている。独特の視点はムシオタクから来るのか、解剖学者の眼なのか?ここまで達観できるのはすごい。基本的には科学者の眼なのだろう。そうありたい。この本は先生が編集者にしゃべったことを文章にしたものだ。最近はそういう本の作り方が多い。中身は作者の考えだからそれでいい。かえって読みやすいかもしれない。
今シーズン初めてかもしれない勅使池(10/15以来だった)。今日の午後は暖かいというほどでもなく寒わけでもない。池は水温むという感じがした。岸の草木や水中木立が整備されて様子が違ってみえた。ここは水鳥たちが間近に見えて楽しい。バンは嘴と額が真っ赤で先端が黄色い。オオバンに比べてやはり小さい。カイツブリの鳴き声はけたたましい。愛くるしい表情をしている。ハシビロガモはよく押し競饅頭をしているのだが、この日はペアでグルグル回っていた。birder が望遠レンズを構えているのはオシドリが狙いだ。水中木立の奥に隠れていて姿を見せなかった(いるにはいたが)。カルガモが木に止まって昼寝中、橙色の脚と水かきがバッチリ見えた。カンムリカイツブリ、コガモ、アオサギの姿もあって birding が楽しめた。birder birding というのは最近NYセントラルパークで使われているらしい。
猫ヶ洞池の奥にある葦原は最近刈りとられたが、岸から離れた草叢は枯れ葦として残っていた。殺伐とした冬景色だが、やがて芽生えの季節になる。