伏見歴史散歩

2日目は京都から伏見に移動。中書島へはJRと京阪電車を乗り継いできた。なぜこんなところの地名に島がつくのか不思議だった。伏見は秀吉の築城で政治の中心だったが、水運に恵まれ京都の港の役割を果たしていた。秀吉はこの地を海外貿易の拠点とした。京都と大坂を結ぶ交通の要衝でもあった。宇治川・淀川を十石舟、三十石船が人や物資を運んだ。宇治川の洪水を抑えるために中書島が築かれたが、宇治川と運河・堀とに水位差があって水運のために水位調整の水門・閘門(パナマ運河やヨーロッパ運河に事例が多い)がある。三栖(みすみ)閘門資料館のガイドさんはじっくり伏見の歴史を語ってくれた。十石舟からも見えた寺田屋に出かけた。龍馬像(高知の桂浜のと同じポーズ)があった。僕は、寺田屋騒動・坂本龍馬襲撃事件とおりょうさん・お登勢に混線と誤解があった。まず寺田屋騒動と坂本龍馬襲撃事件は別の事件であり、前者は薩摩藩同士(藩主島津久光の命で過激派藩士が討たれた)であり、後者は幕府側の伏見奉行が急襲したもの。寺田屋の女将がお登勢であり、急襲を知らせ龍馬を救ったがおりょうさん。ここで刀傷を負った龍馬は西郷隆盛の勧めで薩摩へ下り養生する。これが日本で初の新婚旅行となったそうだ。また襲った側は新撰組会津藩かと思っていたのは僕の独りよがりだった。
この後、酒蔵めぐり。月桂冠と黄桜。この地は水に恵まれ、水運から米も豊富で酒造りに適した土地だった。それだけ競争も激しかったのかCMも激戦区。月桂冠はイメージキャラクター、黄桜は清水崑(のちに小島功)のカッパ、松竹梅は渡哲也。灘の硬水に対して軟水で甘口に特徴があるそうな。
十石舟で伏見の街をめぐる

三栖閘門

宇治川 下流で木津川、桂川と合流して淀川となる

寺田屋

龍馬像

造り酒屋と倉庫

黄桜

追記
秀吉は伏見に大名を集め大名屋敷を構えさせた。その配置に秀吉らしさがあった。石田三成加藤清正には城下正面を与えたが、黒田官兵衛には裏切りに備えて裏手だった。
安土桃山というと桃の産地みたいだが、この地は水が豊かすぎて桃には適さないそうだ。ではなぜ桃山というのか? 明治天皇御陵が伏見桃山にあって、明治以降の政治的な配慮から桃山が前に出たらしい。