広告論講義

亡くなった天野祐吉明治学院大学での講義録(2000-2001年)。10回の講義に参加できる。
読むきっかけは、最近の広告がつまらくなったこと。商品名の連呼、目立てばいいだけで意味のない画像、品のないコピー・・・・。というわけで民放TVは見ない。見たいものは録画して広告を飛ばして見ることとなる。新聞広告も訴える力に欠けチラシレベルとなってしまった。
広告は生活批評であり、社会批評(時代批評)だとする。すぐれた広告、コピーはなにかを語っている。
VWの広告(1955年~)は20世紀で最高の広告(表現の質の高さで)。アメリカ文化へのカウンターパンチ Think small(小さいことはいいことだ)。虚飾に惑わされず実用性を重んじるクレバーな人というイメージを巧みに売り込んでいる。僕もそうありたい。
アンクルトリス(1958年~)。壽屋サントリー)宣伝部には開高健山口瞳柳原良平らがいて、新しい中間文化論(都会的な庶民)を展開した。アンクルトリスはその時代をよく表している。開高健のことばに「商品をダシに己を語る」というのがある。すぐれた広告は楽しい。面白い広告に共通しているのは、時代の空気や気分を記録していること。
NASA 月着陸(1969年7月20日)は「偉大なるアメリカ」の広告だった。冷戦下にあってケネディ大統領はアメリカの広告になるものならなんでもよかった。
この他に、パリ万博(1900年)、南極探検、エンゼル(森永)と福助、T型フォード、ヒトラーの演説、スモカ(片岡敏郎)、ハングリー?(日清カップヌードル)などなぜ凄いのかを論じとても興味深かった。Henry Fordの誠実さにも打たれた。でもGMのイメージ戦略に屈してしまうのだ。大衆とはイメージに弱いという特性がある。僕もクレバーでありたいと思うもののイメージには弱い。

天野祐吉 広告論講義 天野祐吉著 岩波書店